終了 荒井美波展 Trace of Writing

 

 

荒井美波「Trace of Writing」

 

 

TRAUMARIS|SPACEでは2014年、年初めの展覧会として
編集者/写真家 都築響一氏のディレクションにより、
文豪の原稿の生々しい筆致を、針金でなぞる作品が注目される新人、
荒井美波「Trace of Writing」展を開催します。
 
 
会期:2014年1月15日(水)〜2月2日(日)
 
1月15日(水)オープニングパーティ
1月19日(日)17:00〜18:30 
       トークライヴ(ゲスト:都築響一)
 
会場:TRAUMARIS|SPACE(恵比寿NADiff apart 3F)
 
 
 
作家プロフィール:

 
荒井美波 Arai Minami
 
武蔵野美術大学 視覚伝達デザイン学科在籍中
 
1990年 東京生まれ 
2011年 「木からできたブックカバー」グッドデザイン賞受賞
2012年 武蔵野美術大学卒業制作 優秀賞受賞 
2013年 MITSUBISHI CHEMICAL JUNIOR DESIGNER AWARD2013 佳作受賞
 
公式ページ:http://mnmari.tumblr.com/
 
 
 
作家ステイトメント:
 
 
 
行為の軌跡 ―活字の裏の世界―
 
普段目にしている文字は思考の軌跡であり、人間がペンや筆といった道具を手に持つ事で生まれた「書く」という行為の産物でもある。しかし、様々な技術が進歩してゆくうちに、行為によって生み出されたという背景は忘れ去られ、活字という表面的な情報のみが一人歩きする様になった。 
近年ではデジタル技術の進歩によって筆記具を手に持ち書くという行為が、キーボードを打ち入力する行為に変化している。結果的に情報としての文字の役割は同じであるが果たして本当にそれで良いのだろうか。
 
 
そんな思いを胸に、文字が育つ過程に着目した。日本人だれしもに馴染みのある近代文学をモチーフとし、活字の裏に隠された直筆から感じられる人間性を立体によって臨書した。
活字になる前の本のインディーズ、つまり文豪の原稿は書く行為の軌跡である直筆によって、筆癖やルビ、直しの跡、編集者の文字など一枚の紙の中で多くの言葉が育った過程から、その人らしさや作家の現場風景などの人間味や身体性、時間の経過を感じ取る事ができる。
直筆の文字を見るとインクの溜まりや線の重なりから、数本~数一〇本の線で構成されいる事をより強く感じる。それらを一つ一つ読み解き、立体によって臨書する事で線の前後間の関係から文字の書き順や、筆者の息づかいをも感じる事ができる。筆者が本文を書いた後にルビを振り、編集者が活字の号数指定などを書き込むといった時間の過程があるように、活字本が平面なのに対して、直筆原稿の中には数多くの文字の層があり、空間が存在する。このように直筆原稿は活字本になってからでは味わう事の出来ない無意識の中の癖や息使いや苦悩などの衝撃的な出会い、人間味や身体性に遭遇する事が出来るのだ。
 
 
創作の舞台裏を覗き、更に新たな形で臨書する事はタブーかもしれないが一人の人間が完成に向けて努力を重ねていく
緊張感を、一本一本の線を感じ積み重ねながら敢えて書く道具を用いず困難な状況の中で追体験し、文字が育つ様子を誰も見た事の無い形で視覚化しなければならないと感じたのである。
 
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Trace of Writing
- Before the World of Printed -
 I wonder why people are attracted by the original autographs and handwritten lettersby novelists.
Because we can probably feel more closer personalities of the writers,
who have produced their handwritten words, by looking into the traces of their writings. 
The words are results of their continuousness and the products of actions by instrumentslike pens and brushes,
which are called “writings”,. 
 However, by the advancement of many technologies, 
we tend to forget the words are produced from stream of thoughts and actions. And, the text could be easily taken and spread as superficial information, itself .
Nowadays, we see the much change of digital revolutions so, 
we’d rather bring electrical gadgets than handwritten tools.
After all, as letters for information would be the same either by handwritten and or typed. 
But is it enough?
 That is the reason why I felt and looked into how writersproduce the wordings by their own writing characters. 
I took my motif as well-known Japanese modern literatures and tried to reproduce the humanities of writers from their own handwritten words by using my three-dimensional visualizing method. 
Before these books are printed,
authors’ handwritten manuscripts are traces of their actions which probably we can more closely feel their physical and psychological products among with their human characters and time passages for their works.  
When we look into their handwritten characters,
we see strong and or faint of traces of inks and notice that the ideographs are made from numbers of lines. 
By reading each of characters and reproduce in three-dimensional,
we can imagine writers’ breaths and how each character is formed from lines.
There is time passage like authors would add kana letters alongside Chinese characters
and editors would put numbers for printings purpose. 
We see the world there are the many layers of letters and phase in their handwritten manuscripts.
We can encounter each authors’ struggling to produce their own works and their unconscious tendencies in handwritten manuscripts before printed.
 I personally felt the necessity of three-dimensional visualizing by studying those writers and behind their products: how each human being is to struggle to achieve their completions by drawing each of lines.
I wanted to try to reproduce how each of their characters grow without using conventional writing devices.
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参考記事:

ROADSIDERS' weekly
 
公式サイト: www.roadsiders.com
Facebook: https://www.facebook.com/ROADSIDERS
 

 

design立体写経
 ――荒井美波のトレース・オブ・ライティング


太宰治『人間失格』

美大の学生や卒業生以外にはあまり知られていないと思うが、「三菱ケミカル・ジュニア・デザイナーズ・アワード」という公募展がある。現在の協賛企業である三菱化学、三菱ケミカルホールディングスの前に、タバコのラッキーストライクが協賛していた時代から数えれば、すでに十数年になるのだが、その審査員のひとりを、もうずっと務めさせてもらっている。

デザイン関連の専門学校、大学、大学院の卒業制作を対象としたこのアワードは、大賞、佳作、それに審査員それぞれの特別賞を、数百点の応募作品のなかから選んで表彰するもので、僕も「都築響一賞」なんてのを毎年ひとりずつ選ばせてもらっている。入賞した作品はいつも11月末から12月あたまにかけて、有楽町の東京国際フォーラム・ロビーで展示されているので、偶然通りかかって気がついたひともいるかもしれない。(中略)


国際フォーラムでの展示会場



原本(の複製)と、針金による作品がセットになっている。これは芥川龍之介『蜘蛛の糸』

今回このメルマガで紹介したいのは、佳作に輝いた『行為の軌跡 ―活字の裏の世界―』と題された作品。武蔵野美術大学・視覚伝達デザイン学科の荒井美波さんによる、これも非常に興味深いプロジェクトである。


『行為の軌跡』展示全景

写真を見てわかるように、この作品は壁に掛けられた薄茶色のキャンバス(革張り)と、その下に開かれた本が一対となって、ずらりと並んでいる。





開かれた本は芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫など、知らぬ者のない文豪の代表作ばかり。そして壁にかかっている革張りのキャンバスには原稿用紙のマークが刻まれ、その上に黒い針金がごちゃごちゃとうごめき、ときにはそのまた上に赤い針金がぐちゃぐちゃと渦を巻いたりしている。

よく見るとそれは、文豪の自筆原稿の一字一句を針金で忠実に再現し、原稿用紙から浮き立たせているのだった。原稿に直しが入れられている場合は、さらにその上から赤い針金が、直したとおりに乗っかっている。つまりこれは書き手(ときには校正者、編集者も含めて)が、自筆の原稿をサラの原稿用紙に書きはじめ、推敲を経て完成させるまでのプロセスを、立体的に表現するという、素晴らしく大胆な企てなのだった。まずは荒井さん本人による、プロジェクトの説明を読んでみよう―

普段目にしている文字は思考の軌跡であり、人間がペンや筆といった道具を手に持つ事で生まれた「書く」という行為の産物でもある。しかし、様々な技術が進歩してゆくうちに、行為によって生み出されたという背景は忘れ去られ、活字という表面的な情報のみが一人歩きする様になった。 

近年ではデジタル技術の進歩によって筆記具を手に持ち書くという行為が、キーボードを打ち入力する行為に変化している。結果的に情報としての文字の役割は同じであるが果たして本当にそれで良いのだろうか。


『蜘蛛の糸』ディテール。赤い針金による校正部分が、血の滴りのように生々しく見えてくる

そんな思いを胸に、文字が育つ過程に着目した。日本人だれしもに馴染みのある近代文学をモチーフとし、活字の裏に隠された直筆から感じられる人間性を立体によって臨書した。

活字になる前の本のインディーズ、つまり文豪の原稿は書く行為の軌跡である直筆によって、筆癖やルビ、直しの跡、編集者の文字など一枚の紙の中で多くの言葉が育った過程から、その人らしさや作家の現場風景などの人間味や身体性、時間の経過を感じ取る事ができる。

直筆の文字を見るとインクの溜まりや線の重なりから、数本~数一〇本の線で構成されいる事をより強く感じる。それらを一つ一つ読み解き、立体によって臨書する事で線の前後間の関係から文字の書き順や、筆者の息づかいをも感じる事ができる。筆者が本文を書いた後にルビを振り、編集者が活字の号数指定などを書き込むといった時間の過程があるように、活字本が平面なのに対して、直筆原稿の中には数多くの文字の層があり、空間が存在する。

このように直筆原稿は活字本になってからでは味わう事の出来ない無意識の中の癖や息使いや苦悩などの衝撃的な出会い、人間味や身体性に遭遇する事が出来るのだ。

ちなみに『行為の軌跡』は英語テキストでは「Trace of Writing」となっていて、もしかしたらこちらのほうが、プロジェクトの企図というか、熱量を明確に伝えているかもしれない。


小林多喜二『蟹工船』

荒井美波さんは1990年東京生まれ、現在は武蔵美を卒業して、大学院に進んで研究と制作を続けている。

わたしはあんまり学校の勉強が好きじゃなくて(笑)、中学2年のころから部活の代わりに美術の予備校に通ってたんです。で、学校が九段下で、予備校が御茶ノ水にあったので、必然的にいつも神保町を通る・・・それで古本と音楽にすっかりハマって。なににハマったかというと、ガロなんですが(笑)。あと、寺山修司とか。音楽のほうも小学校高学年からJ-WAVEにハマって、毎日5時に帰って、寝るまでずーっと聞く生活を続けてました。

それで自然に中野ブロードウェイとかにも通うようになりましたが、みんなが聴いてた音楽といえば平成ジャンプとかだったので・・・自分は浮いてたと思います。


『蟹工船』

わたし、中学のころからずっと広告をやりたかったんですね。野田凪さんや、蜷川実花さんにすごく憧れて。それで多摩美のグラフィックに行きたかったんですが、落ちまして、それで武蔵美に行ったんです。でも大学でも趣味の合う学生があんまりいなくて、むしろ先生とのほうが話があったりして。つげ義春の漫画を貸し借りするとか。

大学3年生のときから、「ひととものの関係」をテーマに制作を始めるようになりました。最初は手と紙の音だけのアニメーションで、ひたすら紙をめくる行為を描写した映像とかをつくってみたり。


『蟹工船』ディテール

でもそのうち就活の時期になっちゃいますよね。ずっとずっと広告がやりたかったので、代理店を受けようと思って、それにはポートフォリオを作らなくてはならないんですが、どうしても表面的なものしかできなくて、すごく葛藤があって・・・やっぱりちょっとちがうなって。それで途中で就活を断念しまして、もういちど、自分がなにをしなければならないかを、考えるようになったんです。


太宰治『人間失格』ディテール

周囲が就活一色に染まる中で、ひとりだけ自分の立ち位置を探しなおしていた荒井さんが、悩みを振り切ることができたのは、ほんの偶然がきっかけだった。

すごく悩んでたときに、たまたま大学で文学関連の展示があったんですね。「近代ブックデザイン考」っていう、美しい装丁を集めた展覧会だったんです。夏目漱石とか、小村雪岱とか・・。その手伝いをするのに、大学地下の書庫で、展示のための本を選ぶ仕事がありまして。そこで探してるうちに、読んだひとの書き込みのある本が、けっこうあったんです。

わたし実は、書き込みがある本が中学のころから好きで、神保町でよく買ってたんです。本っていう、ひとつのもののなかに、書き込みを通して元の持ち主とか、サインだったら著者とかの存在感が見えるというか。それまで遠い存在だったのが、たったひとつの書き込みや、筆跡によって、すごく身近になってくる。わたしと同じ世界にいるんだって実感できて・・・そういったことをうまく伝えられないかと思って、卒業制作を始めたんです。


三島由紀夫『春の雪』

自分の学科の卒制って年表とか、じっくり読まないと入り込めないのが多かったんですね。わたしはそうじゃなくて、ぱっと見でわかるもの、見た目がキャッチーなもの、インパクトがあるものをつくりたかった。それは、広告をやりたかったという思いと、ちょっと通じるかもしれない。まず立ち止まってくれたら、そこからじっくり見てくれるから。


『春の雪』

それで「ひととものとの関係」ということを考えていくと、ものの奥からひとを感じられるもの、ひとがものに働きかけて起きるのが、書くという行為なんじゃないかと思って。

筆記という行為と、ひとがいて、それがあわさって文字という、コミュニケーションの媒体が生まれるわけですよね。でも、いつもわたしたちは文字を活字やフォントでしか読んでない。その前に、もうちょっと人間的な段階があるよなって。それで文豪たちの直筆原稿を読み始めたんですが、そうするとそこには直筆ならではの現場感というか・・・苦悩だったり・・・これは舞台というか、事件現場だな!って思ったんです。


『春の雪』ディテール

原稿用紙に書かれてる直筆の文字、そのなににいちばん人間性を感じるかっていうと、線のひとつひとつに時間が書いてあるというか、線のひとつひとつが時間を表示しているような気がしたんですね。そういう直筆文字の時間軸・・・それをどう表現したらいいかって、ずっと考えてたら、針金のアイデアが出てきたんです。

最初、映像やCGも考えたんですが、やっぱり作家の苦悩に匹敵する努力を、自分のほうでしなければ失礼だろうと。作家への敬意を込めて、ひとつずつ線をたどっていく。

それでまず試作として、森鴎外の直筆文字を真鍮の針金でつくってみたんです。そしたらすごくきれいにできたけど、硬くて加工が大変すぎて。それで手芸用の針金に変えて、こんなふうになりました。

針金の文字を埋めてる土台(原稿用紙)は革なんです。だから、どんどん色が変わってきてます。ことばが育つ、というテーマが自分の中にはあったので、作品自体も育たなきゃいけないなと。本の紙の色が変わっていくように、革の色も経年変化がありますし、触っているうちに手垢がつく。そういうのがまた現場感を生むんじゃないかと思ってます。

選んだ作家の作家のことをより深く知るために、制作の過程でできるかぎりの資料を集めたり、作品を全部読んだりしているうちに、「作品をつくりながら、ずっと深く作家のことを知ることができるようになった」という荒井さん。いまは美大の大学院に在籍しながら、別の大学の文学部の研究室にも通っているという。「臨書」と本人は説明するが、考えてみればこれは「立体写経」とも言える行為なのだから、一文字一文字の書き順を追ううちに、書き手のこころに入り込めるようになっていくという感覚は、しごく自然なのかもしれない。

「よく、そう指摘されるんです」と荒井さん本人も言うように、僕は彼女の話を聞きながら、それが石川九楊に代表される現代書道の「筆触の構造」という概念に、きわめて近いものに思われた。そうして「この作品をつくり終えて、いろんなひとに見せたときにそう言われて、それで石川さんの本を読んでびっくりしました」という荒井さんに、僕もびっくりした。

もし荒井さんがすでに書に親しんでいて、そこからコンセプトとしてこういう作品をつくっていたとしたら、こんなかたちになったかどうかわからない。ひとりだけで悶々と考えて、指先を怪我したりしながら、「作家へのリスペクトとして自分もそれだけ苦労しないと」と、地道な針金細工に没頭した結果が、こんなに知的な刺激に満ちた作品に結実したこと。それもまたひとつの、精神の冒険と言えはしないか。

卒業制作以来、しばらくやめていた制作を、彼女は最近になってふたたびスタートさせたという。その進展は本人のタンブラー・サイトに逐一アップされているので、興味を持たれた方はぜひアクセスしてみていただきたい。






最新作という、制作途中の宮沢賢治『雨ニモマケズ』


 

荒井美波
http://mnmari.tumblr.com/

三菱ケミカル・ジュニアデザイナーズ・アワード:
http://www.m-kagaku.co.jp/mcjda/index2.html