ARTの最近のブログ記事

 
 
 
 
amana art photo のインタビュー(英文掲載)
和文原稿をアップしました。
 
 
https://www.amanaartphoto.com/interview-taiji-matsue/
 
 
 
写真家・松江泰治は、1991年より、世界各地の風景を俯瞰的な視点で「地表」として捉え、「地球の表面のサンプルを収集する」というテーマをストイックに探求してきました。山岳や砂漠、森林、都市などの地表を、太陽光が細部まで均質に照らし出す時間帯に限定して撮影。画面から影や地平線は消え、さまざまなテクスチュアが精密に立ち現われます。自然を捉えALPSなどの地名を付した「gazetteer」(地名辞典の意)シリーズ、タイトルにシティ・コードが付けられた「CC」シリーズ。初期以来のモノクロ作品に2005年よりカラー写真が加わり、2010年からは松江自身が「動く写真」と呼ぶ映像作品を展開しています。
 粘り強い調査活動と、強靭なフットワークによって蓄積された膨大なイメージは、情緒性を潔いまでに削ぎ落とした、「地球の図鑑」ともいえる唯一無二の博物誌を築いてきました。昨秋刊行されたばかりの世界の墓地をモチーフとした作品集『LIM』(青幻舎)の制作背景、そして現在のスタイルを確立するまでの過程についてお話をうかがいます。
 
 
 
松江さんは世界各地をフィールドとして活動していますが、制作のプロセスではどこに力点が置かれているのでしょうか。
 
 
実際には、カメラを手にして「撮る」作業は全体の10%、調査活動や作品を仕上げるために必要な作業が90%ですね。だいたい年に2回は撮影旅行に出かけています。あわせて約50日間でしょうか、1回3週間ほどの旅程を、たった独りで車を運転しながら撮影し、蓄積した写真を順次作品化していきます。
 
 
調査の段階でも撮影の旅でも、じっくり時間をかけて、あらゆる可能性を探るそうですね。
 
 
 
動けば動くほど、多くの情報や知識が飛び込んでくるし、未知の風景との出合いと驚きがあるんです。よく「写真家の内面から溢れ出る世界観」などという人がいるけれど、それはウソ。何も出てきません。どんどん旅をして知らない場所へ行く。旅先で小説を読むとかあり得ないでしょ。窓の外を見なさいよ、もったいない。全世界を眺めること。旅の醍醐味はそこですから。日常もそう、周りを見ないと。旅と日常は表裏一体です。 
 
 
 
松江さんの写真は、常に大きく引きをとって、世界を遠くに、しかも同時に手にとるように眺める視点が特徴的です。
 
 
 
撮影場所が広大な土地であることは大事で、作品にするための優先的な条件です。昨年はパタゴニアを訪れましたが、途轍もない大きさでしたね。 
たとえば、ノルウェーでフィヨルドに停泊する巨大な客船を撮影し、ノルウェーという地名の作品にしました。巨大な壁のようなU字谷の崖を背景に、船が埋没して見えます。そして最近、台湾の港町で客船に出合いました。ノルウェーよりも小さな船ですが、遠い対岸なのに都市の中では広角レンズでも収まらない。スケールの違いと画面要素の違いを思い知らされた経験です。
いつも試行錯誤しながらいろいろ撮って、自室に戻って、作品とスケール感の組み合わせを構成しています。
 
 
 
モノクロの大判で、あくまで冷静かつフラットに世界を見るという姿勢が基本にありますが、近年はカラーにも積極的に着手していますね。昨年刊行された『LIM』でも、色彩豊かな異国の墓地を突き抜けた明るさで捉えています。
 
 
 
ブエノスアイレスの墓地なんかビジュアル系でしょう? 墓地はその土地の共同体を反映するものなので、大富豪や権力者の見栄が表現されているものは、完成された都市に多いんです。一方で、地位や階層に関係なく平等に扱うところもあります。
 
 
 
石ころが転がっているだけのような荒涼とした墓地は、あの世の光景を思わせて清々しいですね。南米の都市や砂漠に松江さんが惹かれる墓地は多いようですが。
 
 
 
実をいうと、墓地に関してはもう20年以上、学生時代から追い続けてきたモチーフなんです。世界各地の墓地をリサーチしましたが、独自に抽出した条件に従って、自分自身の目に適うものだけをセレクトしています。世界広しといえども、作品になる墓地は意外に少なかったですね。
全ての大陸へ旅することも重要ですが、南米の墓地に惹かれるものが多かった。この墓地作品は都市作品の一部分ですが、墓地だけを纏める切っ掛けとなったのが、LIMで示されるペルーの墓地です。衝撃的な光景、の一言に尽きる。
 
 
 
このシリーズには高地から撮影された写真のほか、空撮された写真も多いですね。Google earthの画像を参考にリサーチすることもあるのでしょうか。
 
 
 
空撮は今のところ日本の都道府県シリーズに限定しています。よく空撮の作家のように思われますが、僕の9割の撮影は地上に三脚を立てて大判で撮っています。空撮と思うのは、見た人の思い込みでしょう。衛星写真の技術も上がってきてはいますが、サイズが決まりきっていますからGoogle earthの画像は参考にはなりません。
墓地は閉鎖された領域で、入れないことや、塀に囲まれて外から見えないことが多い。また多くの墓地は平地に作られるので、高い位置からの撮影よりもむしろ、至近距離からや墓地に正対した撮影が多くなっています。
 
 
 
松江流ともいえる、陰影を極力抑え、顕微鏡で物質の粒子を観察するような視点はいくら見ても見飽きることのない普遍性を感じさせます。
 
 
 
一般的に風景写真というものは、朝や夕方に撮影されることが多いですが、ぼくにとっては禁じ手です。
それは写真に表れる精神性と、そこにまつわるクリシェを否定してきたからなんです。
ですから、日中の太陽の角度を計算して、影が出ない時間にだけ撮影します。立体的な要素は徹底して排除しています。
 
 
 
写真界で王道とされてきた表現方法をことごとく否定してきた松江さんですが、その姿勢は、ベッヒャー派と呼ばれる写真家の潮流ともまた違う、21世紀的なコンセプチュアルアートの立ち位置ともいえます。
 
 
 
写真の世界で活動を始めた初期は、現代美術的なことはやるな、とうるさいくらいに言われました。僕のやってることを面白がる人、ツボにぴたりとハマる人はなかなかいませんでした。すごく狭い美の世界なのかもしれませんね。
それが、縁があってアートの世界にスッと入れたのが良かったと思います。最初からコンセプチュアルアートと自分のやり方との違いは感じなかった。全く同じことをやっていると思いました。
 
 
 
大学卒業後、写真専門学校や美大出身でないことや、写真界にコネクションがないことがマイナスとなることは承知で「写真家として生きていくしかないと考えた」と聞きます。
 
 
 
みんなついてこい、ついてこれるものなら、というくらいの革命家の気概でやってきました。苦労してきましたから。仕事を始めた頃は写真系のギャラリーはどこも門前払いだし、カメラマンとしても就職先ゼロでした。不器用ゆえにストイックでしたね。
 
 
 
それでも初志貫徹し、独自の作品世界を探求してきました。さらに2000年代にはデジタルカメラの導入によって新たなアプローチも生まれます。
 
 
 
デジタルへの移行は他の写真家よりもスムーズだったと思います。もともと大学で地理学を専攻し画像処理をしていましたから、得意分野に戻ったともいえます。大型計算機とフィールドワークス、この2つの角度から狙いを定めていく方法が、僕にとっての制作の軸なんです。
 
 
 
2010年からは、ご自身が「動く写真」と呼んでいる映像作品を制作しています。お伽話の世界を覗き込むような不思議なスケール感の映像は、虚実の差異を軽やかに撹乱して、観る者のまなざしに瑞々しい発見をもたらしました。
 
 
 
デジタルカメラを持つようになった2005年頃でしょうか。単に静止画も動画も1つのカメラで撮れるということもきっかけではありましたが、意外や意外、映像に新しい発見があったんです。あくまで蛇足というかオマケのつもりだったので、自分で編集しながらも、最初は自問自答しながらでした。いい編集ソフトなどない時代でしたから、微調整に試行錯誤しましたね。機械相手だと、かゆいところに自分で手が届かず、靴の上から掻くような歯がゆさもありました。2年くらい、朝から晩まで毎日格闘して、ようやく自分でコントロールできるようになったんです。
 
 
 
今取り組んでいる作品の一つは、80年代に撮影された黒白作品を再生させるデジタルリマスターとも呼ぶべき作品になるとか。
 
 
 
80年代の未発表の写真をデジタル化して、作品化する準備をしています。なかには撮影はしたけれど現像もプリントもしないままのフイルムもありました。20歳前後の、闇雲に写真を撮りはじめた頃ですから、もちろん稚拙なものです。当時、森山大道さんの写真に出合い、鳥肌の立つような覚醒を覚えて、電撃的に写真家になろうと決めたんです。森山さんが衝動的に写真を捨てたというエピソードを聞けば、俺もやっちゃえ、と燃やしたりね。でも、作風を真似ることはしませんでした。精神性だけ追従したんです。革命家ですからね。炭鉱夫と一緒に山に入って撮ったシリーズもあります。ワイルドでしょ? その頃からすでに旅人の感覚を持ってたのかもしれませんね。
 
 
 
取材・原稿
住吉智恵(アートプロデューサー・ライター)
 
 
 

 


EKKO 作品集

"UN DIA / Show me the way to go home"
 
 
 
 
 
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TRAUMARISではアーティスト EKKOの初の作品集を出版いたします。
 
2015年5月にTRAUMARIS|SPACEにて開催した「EKKO UN DIA」展の
展示作品を中心に、近年の代表的なペインティング作品を収録。
 
さらにアーティスト伊藤桂司とEKKOのコラボレーションによるコラージュ、
「UN DIA」展会期中のイベントに参加した音楽家たちの楽曲を集めた
MIX CDを収録、贅沢なアーティストブックとなりました。
 
musician:Daikichi Yoshida
     CINEMA DUB MONKS,
     MAYAYUNTA(MAYA YAMAO)
     Ai Umeda
 
 
ご購入はこちらのショップサイトからお願いいたします。
 
 
 
9月19日(土)-21日(月祝)
TOKYO ART BOOK FAIR 2015 の
EKKOブースにて先行販売いたします。
 
 
THE TOKYO ART BOOK FAIR 2015
 
日時: 2015年9月19日(土)~9月21日(月・祝日)
会場: 京都造形芸術大学・東北芸術工科大学 外苑キャンパス
東京都港区北青山1-7-15(最寄駅:外苑前)
http://tokyoartbookfair.com/
 
 
 
EKKO BOOK LAUNCH PARTY
EKKO "UN DIA / Show me the way to go home"
 
出版を記念してリリースパーティを開催します。
伊藤桂司さんのコラージュ原画も展示、
TRAUMARISより軽いお食事のご用意もございます。
どうぞお気軽にお立寄りください!
 
日時:10月3日(土)
   19:00〜21:00
 
会場:AL 
   東京都渋谷区恵比寿南3-7-17
 
会費:3,000円
  (EKKO作品集・TRAUMARISレシピ集・1ドリンク&フードブッフェ込み)
 
問合せ:info@traumaris.jp
 
 
 
EKKO 作品集
"UN DIA / Show me the way to go home"
 
版型 : B5サイズ 24ページ
付録 : 音楽CD 
部数 : 500部
価格 : ¥1,500(税込み)
出版元: TRAUMARIS
発売日: 9月19日
 
ショップサイト
(送料一律込みの価格となります)
 
 
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EKKO / UN DIA / Show me the way to go home
 
B5size,24page,MIX CD x1
 
Art works and design: EKKO
Special collage work: Keiji Ito
Text: Chie Sumiyoshi(art producer/writer)
Translation: Kei Benger
Photograph and design: Takeo Yamada, EKKO
Publisher: TRAUMARIS
 
Special MIX CD: Daikichi Yoshida, CINEMA DUB MONKS, MAYAYUNTA(MAYA YAMAO), Ai Umeda
 
 
 
 
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お問合せ:info@traumaris.jp
 
 
 
 
 
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MUSIC LIFE+ 「LED ZEPPELIN特集号」に掲載されたコラムです。

i-phone,  i-padのアプリとして発行され,i-Tunesから無料ダウンロードができますので

ぜひお持ちの方はご高覧下さい。あいぽん派でない方のためにこちらにも!

 

 

 

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去る2010年6月、原美術館での個展のために来日した写真家、ウィリアム・エグルストン氏にインタビューする機会を得た

このことを話すと、「もし自分がエグルストン氏に会っても、なにも訊くことがない」と、あるアーティストの友人が言った。
彼女自身も写真と映像を使って作品をつくるのだが、「
自分の思ってることは彼にはお見通しだろうし、自分も彼と同じことを感じていると思うから」だという。

それじゃまるで、
アイドルに思い焦がれるファンの少女の盲目的な妄想じゃないか、と眉を顰める方も多かろう。
しかし私にもその気持ちがよくわかる。エグルストンを神と師と仰ぐカメラ小僧のみなさまから総攻撃をく
らうこと必至なのだが、自身も同じような思いで取材に臨んだからだ。

人はだれでも、大人になり、多様な経験に揉まれ、
成熟するうちに、思春期に深く刻印された感受性のほどんどが摩耗し、薄れていくものだ。
しかし10代、20代の時分から、
そのヴィヴィッドさを変わらずに保ち続けている感覚があるとしたら、そこに関しては、言葉にはならないが、揺るぎのない、確信めいた安心感がないだろうか?

作家と同じ感覚を共有しているという安心感を抱いて初対面に臨む
とき、いわゆる美術作家のインタビューに求められるような、具体的な制作プロセスやテクニック、ひいては社会性や政治性、精神性に斬り込んでいくようなアプローチは、まったく蛇足のような気がしてしまう。
伝えたいのはただ、深い感謝とリスペクトの言葉だけなのに、と。



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エグルストン氏が「口の重い」「気難しい」人物らしい、という噂と、「抽象的な質問にはYES/NOしか答えない」という美術館からの情報が事前に入ってきた。取材日にあてられたその日は、昼から5媒体のインタビューが詰め込まれ、それも自分の前は後藤繁雄氏やホンマタカシ氏など錚々たる顔ぶれと聞いていたので、さすがに前夜から緊張した。

それでも「これだけは訊かないと取材にならない」という質問だけが、どうしても直前まで思い浮かばないのだ。おまけに私はカメラのことは無知同然で、ライカの何たるかも正確には理解していないのだった。

今日、最後の取材です、と言われて美術館のホールに案内される。
初夏の陽光にあふれた窓際のテーブルに、エグルストン氏が通訳の女性と並んで、くつろいだ様子で腰かけている。編集者と私は簡単な挨拶をして、話しはじめた。

「まず初めに、直接お話ししたいので、日々縮みゆく私の英語のボキャブラリーを許して下さいますか?」と言うと、氏はフンと鼻で笑って煙草(ショートホープ)を手にとった。
「アメリカの南部、ディープサウスと呼ばれる、
非常に保守的な土地柄の旧家に生まれ、今もそこを拠点にされていますね。男らしさ、について、こうあるべきという考えをお持ちですか? たとえば、昨夜のレセプションでも誰よりも先にグラスを手にしておられましたが、シガーとバーボンでスイッチが入る、というような、昔ながらの男らしいスタイル、ということかもしれませんが」。

「(少し考えて)そうだな。ときどきは、
スイッチが入ることもあるかもしれないな。あまり気に留めたことはないが」。

「というのは、私はあなたの写真を見て、
地に足のついた気骨ある紳士という印象と同時に、とてもフェミニンな印象をうけるんです」。

「フェミニンか。・・・それは、あるかもしれない。
意識したことはないがね」。

あなたのカメラアイにはジャーナリスティックな視点がないのです。どんな都市の人々にも、あなたを取り巻く社会にも、批評的な視線を向けていない。70年代の作品にメンフィスの夜の街で飲んでいる人たちを撮ったものがありますが、ナイトクラブで酔客にカメラを向けることは、あなたにとってたやすいことでしたか?」

「そりゃそうさ。むずかしいことはない。
いつも一緒に飲んでいる連中だからね。映像作品もそのとき撮ったんだ」
(この映像『Stranded in Canton』は見逃してしまったが、
そのイカレたタイトルは、ラストシーンでこの言葉を叫ぶ一人の酔っぱらいの台詞からとられたという)

彼は「One is Enough」と言った。



あなたがメンフィスの街で撮影しているところをドキュメンタリーで見ました。この映画ですよ」(と輸入板DVD*を見せる)

「見たことがないな。これはなんだね・・・ああ、ライナー(
監督)か? 資金不足でお蔵入りになったって聞いていたがな・・・そうか、完成したのか(ニヤリ)」

どんなシーンでもあなたが一度しかシャッターを切らないことに驚きました。隠された色や動く色をとらえる特別な動体視力ですね」

「かもしれないが・・・まあ、ワン・イズ・イナフ(
1ショットで充分)なのさ」(とにんまりと微笑み、人差し指をあげる)

「あなたのカメラアイには、
街の風景をゆっくりとたゆたうリズムがあります。それは地元のメンフィスも、パリや京都などの異国の都市も同じ、抑制の利いた速度で、迷いも野心もない。曇りガラスの向こうを見るような・・・そう、写真の後ろからサウンドトラックが聴こえてきそうな感じですね。マディ・ウォータースのブルースかしら?」

「それほど、ブルースが好き、というわけでもない。
昔のメンフィスには、歴史的なスタジオがいくつもあって、よく訪れたものだが。私が好きなのはバッハだ。・・・それと、ときには、ボー・ディドリーがいいね」。

「やっぱりそうですか!? ボー・ディドリー、しっくりきますね、とても。バディ・
ホリーはいかがですか?」

「バディ・ホリーも、好きだね。音楽にはうるさいほうでね。
音楽のことは理解しているつもりだ」

「映画監督ともずいぶん仕事をされていますね。
あなたのゆっくりとした視線の移動に「パリ、テキサス」のライ・クーダーのスライドギターが重なるときがあって、ヴェンダース監督はあなたの影響を受けたに違いないと思うんですが」

「いまの名前はなんだって?(スペリングを見て)・・・
知らないな。ドイツ人か? 今度見てみよう」

「たとえば今後、一緒に仕事をしてみたい映画監督はいますか?」

「そうだな。デヴィッド・リンチ、ソフィア・
コッポラと何かするかもしれない。ガス・ヴァン・サントやデヴィッド・バーンとは(スチルの撮影が)やりやすかったな」



色彩についての即興的告白。



原美術館の本展では、企画者であるカルティエ財団のアイデアにより、少年時代から長年にわたって描きためていたカラフルなドローイングの紙片を、写真作品と組み合わせて展示していた。
私はこの展示プランには少々違和感を覚え、
余分なひと手間に思えた。
作家にとってまったく別々の意図でつくられたものを、
キュレーターの解釈によって、あたかも関連するかのように見せる思わせぶりなやり方は、もったいぶった感じで、どうも好きになれないからだ。
しかし、この電話台のメモのいたずら描きのような、
ドローイングの無頓着さについては訊いてみたかった。

「写真とドローイングの、アプローチの違いはどうお考えですか? 組み合わされた作品には関連性があるのでしょうか」

「ドローイングと写真はまったく関係ない。
5歳ぐらいから絵を描くことが好きで、むしろ写真より絵を描いているほうが長いくらいだ。特別な理由はないが、続けていたんだ。発表する気などなくね。自分のためにコレクションしていたが、それについて多くを語ることもなかった。今回の展覧会の打合せのために(カルティエ財団の)エルベ・シャンデスたちが家に来たときに、倉庫の奥のほうから見つけ出して、絵と写真を結びつける構成を思いついた。色にフォーカスした展示をしたい、と言っていたからね」

「一連のドローイングは、色についてのあなたの即興的な告白、
ではないかと思っているのですが。写真が主旋律を歌うとすれば、ドローイングは基調になるコードのような存在では?」

「(しばらく考えた後、ウィンクをしながら)とても、
プライベートなものだ。色の構成は即興的で、あえて注意を払ってはいない」

エグルストン氏は、おもむろに、
ありふれたオレンジ色のソフトケースから愛用のライカを取り出し、その色について語りはじめる。

「このライカは特注で塗装したものでね。
ミリタリーグリーンにしたんだ。ほかにもダークブルーにペイントしたものがある。ケースは息子が見つけてくれたものだが、どうも合わないな。見るたびに違うと思うんだが……まあ仕方ないさ」。

あなたの愛機を見せていただけますか、と訊ねたわけではない。
ただちょっとした沈黙のしじまに、何げなく「見るかい?」
といった調子で。
その様子はまるで、
自分の分身のように大切なものをこっそり友だちに見せようとする少年のようだった。写真史に名を刻む巨匠の瞳が無邪気に輝くと、ふっと空気がやわらかくなった。

 

後に聞いて仰天したエピソード



3月に原美術館のメンバーが、ミーティングのためメンフィスの自邸を訪ねたとき、エグルストン氏は、数日前に酔って階段から落ち、首の骨を折る(!)満身創痍だった。傷だらけの姿を見て「展覧会のスタートを延期しましょう」と持ちかけたが、トラストを管理する右腕である息子は「彼の望むとおりにするべきだ」と言ったという。
結果、6月のオープニングには、足を引き摺りながらも、
ダークブルーのスーツにボウタイを粋に着こなしたエグルストン氏の姿があった。
紳士協定のもと、南部の男は責任をまっとうするのである。
そして私が訊ねたかった男らしさとは、エレガンスと同義語であると確信した。


*密着ドキュメンタリー映画
『William Eggleston: Photographer(原題)』
“オープニングはサーディン(鰯)缶のよう”とエグルストン夫人がコメントする同ドキュメンタリーは、原美術館のミュージアムショップで輸入盤DVDを発売中。



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