2016年3月アーカイブ

 
 
 
 
amana art photo のインタビュー(英文掲載)
和文原稿をアップしました。
 
 
https://www.amanaartphoto.com/interview-taiji-matsue/
 
 
 
写真家・松江泰治は、1991年より、世界各地の風景を俯瞰的な視点で「地表」として捉え、「地球の表面のサンプルを収集する」というテーマをストイックに探求してきました。山岳や砂漠、森林、都市などの地表を、太陽光が細部まで均質に照らし出す時間帯に限定して撮影。画面から影や地平線は消え、さまざまなテクスチュアが精密に立ち現われます。自然を捉えALPSなどの地名を付した「gazetteer」(地名辞典の意)シリーズ、タイトルにシティ・コードが付けられた「CC」シリーズ。初期以来のモノクロ作品に2005年よりカラー写真が加わり、2010年からは松江自身が「動く写真」と呼ぶ映像作品を展開しています。
 粘り強い調査活動と、強靭なフットワークによって蓄積された膨大なイメージは、情緒性を潔いまでに削ぎ落とした、「地球の図鑑」ともいえる唯一無二の博物誌を築いてきました。昨秋刊行されたばかりの世界の墓地をモチーフとした作品集『LIM』(青幻舎)の制作背景、そして現在のスタイルを確立するまでの過程についてお話をうかがいます。
 
 
 
松江さんは世界各地をフィールドとして活動していますが、制作のプロセスではどこに力点が置かれているのでしょうか。
 
 
実際には、カメラを手にして「撮る」作業は全体の10%、調査活動や作品を仕上げるために必要な作業が90%ですね。だいたい年に2回は撮影旅行に出かけています。あわせて約50日間でしょうか、1回3週間ほどの旅程を、たった独りで車を運転しながら撮影し、蓄積した写真を順次作品化していきます。
 
 
調査の段階でも撮影の旅でも、じっくり時間をかけて、あらゆる可能性を探るそうですね。
 
 
 
動けば動くほど、多くの情報や知識が飛び込んでくるし、未知の風景との出合いと驚きがあるんです。よく「写真家の内面から溢れ出る世界観」などという人がいるけれど、それはウソ。何も出てきません。どんどん旅をして知らない場所へ行く。旅先で小説を読むとかあり得ないでしょ。窓の外を見なさいよ、もったいない。全世界を眺めること。旅の醍醐味はそこですから。日常もそう、周りを見ないと。旅と日常は表裏一体です。 
 
 
 
松江さんの写真は、常に大きく引きをとって、世界を遠くに、しかも同時に手にとるように眺める視点が特徴的です。
 
 
 
撮影場所が広大な土地であることは大事で、作品にするための優先的な条件です。昨年はパタゴニアを訪れましたが、途轍もない大きさでしたね。 
たとえば、ノルウェーでフィヨルドに停泊する巨大な客船を撮影し、ノルウェーという地名の作品にしました。巨大な壁のようなU字谷の崖を背景に、船が埋没して見えます。そして最近、台湾の港町で客船に出合いました。ノルウェーよりも小さな船ですが、遠い対岸なのに都市の中では広角レンズでも収まらない。スケールの違いと画面要素の違いを思い知らされた経験です。
いつも試行錯誤しながらいろいろ撮って、自室に戻って、作品とスケール感の組み合わせを構成しています。
 
 
 
モノクロの大判で、あくまで冷静かつフラットに世界を見るという姿勢が基本にありますが、近年はカラーにも積極的に着手していますね。昨年刊行された『LIM』でも、色彩豊かな異国の墓地を突き抜けた明るさで捉えています。
 
 
 
ブエノスアイレスの墓地なんかビジュアル系でしょう? 墓地はその土地の共同体を反映するものなので、大富豪や権力者の見栄が表現されているものは、完成された都市に多いんです。一方で、地位や階層に関係なく平等に扱うところもあります。
 
 
 
石ころが転がっているだけのような荒涼とした墓地は、あの世の光景を思わせて清々しいですね。南米の都市や砂漠に松江さんが惹かれる墓地は多いようですが。
 
 
 
実をいうと、墓地に関してはもう20年以上、学生時代から追い続けてきたモチーフなんです。世界各地の墓地をリサーチしましたが、独自に抽出した条件に従って、自分自身の目に適うものだけをセレクトしています。世界広しといえども、作品になる墓地は意外に少なかったですね。
全ての大陸へ旅することも重要ですが、南米の墓地に惹かれるものが多かった。この墓地作品は都市作品の一部分ですが、墓地だけを纏める切っ掛けとなったのが、LIMで示されるペルーの墓地です。衝撃的な光景、の一言に尽きる。
 
 
 
このシリーズには高地から撮影された写真のほか、空撮された写真も多いですね。Google earthの画像を参考にリサーチすることもあるのでしょうか。
 
 
 
空撮は今のところ日本の都道府県シリーズに限定しています。よく空撮の作家のように思われますが、僕の9割の撮影は地上に三脚を立てて大判で撮っています。空撮と思うのは、見た人の思い込みでしょう。衛星写真の技術も上がってきてはいますが、サイズが決まりきっていますからGoogle earthの画像は参考にはなりません。
墓地は閉鎖された領域で、入れないことや、塀に囲まれて外から見えないことが多い。また多くの墓地は平地に作られるので、高い位置からの撮影よりもむしろ、至近距離からや墓地に正対した撮影が多くなっています。
 
 
 
松江流ともいえる、陰影を極力抑え、顕微鏡で物質の粒子を観察するような視点はいくら見ても見飽きることのない普遍性を感じさせます。
 
 
 
一般的に風景写真というものは、朝や夕方に撮影されることが多いですが、ぼくにとっては禁じ手です。
それは写真に表れる精神性と、そこにまつわるクリシェを否定してきたからなんです。
ですから、日中の太陽の角度を計算して、影が出ない時間にだけ撮影します。立体的な要素は徹底して排除しています。
 
 
 
写真界で王道とされてきた表現方法をことごとく否定してきた松江さんですが、その姿勢は、ベッヒャー派と呼ばれる写真家の潮流ともまた違う、21世紀的なコンセプチュアルアートの立ち位置ともいえます。
 
 
 
写真の世界で活動を始めた初期は、現代美術的なことはやるな、とうるさいくらいに言われました。僕のやってることを面白がる人、ツボにぴたりとハマる人はなかなかいませんでした。すごく狭い美の世界なのかもしれませんね。
それが、縁があってアートの世界にスッと入れたのが良かったと思います。最初からコンセプチュアルアートと自分のやり方との違いは感じなかった。全く同じことをやっていると思いました。
 
 
 
大学卒業後、写真専門学校や美大出身でないことや、写真界にコネクションがないことがマイナスとなることは承知で「写真家として生きていくしかないと考えた」と聞きます。
 
 
 
みんなついてこい、ついてこれるものなら、というくらいの革命家の気概でやってきました。苦労してきましたから。仕事を始めた頃は写真系のギャラリーはどこも門前払いだし、カメラマンとしても就職先ゼロでした。不器用ゆえにストイックでしたね。
 
 
 
それでも初志貫徹し、独自の作品世界を探求してきました。さらに2000年代にはデジタルカメラの導入によって新たなアプローチも生まれます。
 
 
 
デジタルへの移行は他の写真家よりもスムーズだったと思います。もともと大学で地理学を専攻し画像処理をしていましたから、得意分野に戻ったともいえます。大型計算機とフィールドワークス、この2つの角度から狙いを定めていく方法が、僕にとっての制作の軸なんです。
 
 
 
2010年からは、ご自身が「動く写真」と呼んでいる映像作品を制作しています。お伽話の世界を覗き込むような不思議なスケール感の映像は、虚実の差異を軽やかに撹乱して、観る者のまなざしに瑞々しい発見をもたらしました。
 
 
 
デジタルカメラを持つようになった2005年頃でしょうか。単に静止画も動画も1つのカメラで撮れるということもきっかけではありましたが、意外や意外、映像に新しい発見があったんです。あくまで蛇足というかオマケのつもりだったので、自分で編集しながらも、最初は自問自答しながらでした。いい編集ソフトなどない時代でしたから、微調整に試行錯誤しましたね。機械相手だと、かゆいところに自分で手が届かず、靴の上から掻くような歯がゆさもありました。2年くらい、朝から晩まで毎日格闘して、ようやく自分でコントロールできるようになったんです。
 
 
 
今取り組んでいる作品の一つは、80年代に撮影された黒白作品を再生させるデジタルリマスターとも呼ぶべき作品になるとか。
 
 
 
80年代の未発表の写真をデジタル化して、作品化する準備をしています。なかには撮影はしたけれど現像もプリントもしないままのフイルムもありました。20歳前後の、闇雲に写真を撮りはじめた頃ですから、もちろん稚拙なものです。当時、森山大道さんの写真に出合い、鳥肌の立つような覚醒を覚えて、電撃的に写真家になろうと決めたんです。森山さんが衝動的に写真を捨てたというエピソードを聞けば、俺もやっちゃえ、と燃やしたりね。でも、作風を真似ることはしませんでした。精神性だけ追従したんです。革命家ですからね。炭鉱夫と一緒に山に入って撮ったシリーズもあります。ワイルドでしょ? その頃からすでに旅人の感覚を持ってたのかもしれませんね。
 
 
 
取材・原稿
住吉智恵(アートプロデューサー・ライター)